SSブログ

富士山を眺めながら雲取山に向かう(第7回:水根から1つ戻って奥多摩湖でバス待ちです) [山]

連載第7回は「水根から1つ戻って奥多摩湖でバス待ちです」。

奥多摩駅に向かうバスは1時間ほどあとになるので、水根から1つ戻った「奥多摩湖」でバスを待ちます。
時間があるので暫し奥多摩湖を眺めたりしながら、13:45発のバスまでの時間を過ごします。


「奥多摩湖」のバス停
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00475_a.JPG

バス停の前には「奥多摩 水と緑のふれあい館」があります
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00511_a.JPG

奥多摩湖
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00486_00492_edited-1_a.jpg

奥多摩湖周辺案内図
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00493_a.JPG

小河内ダム周辺案内図
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00476_a.JPG

小河内ダム概要
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00477_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

小河内ダム概要

小河内ダム建設の歴史

 大正15年「大東京実現を予想し、水道100年の計画を…」と要望した東京市会決議が、小河内ダム建設のきっかけです。当時、東京市は人口の増加や生活習慣の変化による水道使用量の増加に対して、給水能力は限界に近づいていました。
 小河内ダムは、昭和7年に建設が決定され、昭和13年11月に始まりましたが、戦争のため昭和18年10月に工事は中断を余儀なくされました。戦争の混乱から少しずつ立ち直り、東京都の人口も再び増えはじめた昭和23年9月に工事が再開されました。昭和25年には、国鉄青梅線氷川駅(現奥多摩駅)から、工事現場の水根駅まで専用鉄道の建設が始まり、昭和27年3月の開通とともに、工事も本格化してきました。建設決定から25年、工事開始からは19年、途中戦争による5年間の中断をはさんで昭和32年11月、945世帯の移転と87名の尊い犠牲の下、約150億円の総工費をもって完成しました。
 戦前・戦後に渡ったこの工事は、大型機械を輸入するとともに国家的プロジェクトとして位置づけられ、当時の最先端土木技術で施工されました。水道専用ダムとしては国内最大で、現在でも都民の貴重な「水がめ」の役割を果たすとともに、「奥多摩湖」の愛称で多くの人々に親しまれています。

ダム建設のながれ

昭和 7年 7月 東京市会において第二水道拡張事業を決議
昭和11年 7月 事業認可
昭和13年11月 小河内ダム建設工事に着手
昭和18年10月 第二次世界大戦のため工事中断
昭和23年 9月 工事再開
昭和27年 3月 資材運搬の専用鉄道開通
昭和32年11月 小河内ダムしゅん工

小河内貯水池の流域について

 小河内貯水池の流域は、東京都奥多摩町、山梨県小菅村、丹波山村及び甲州市の4市町村にまたがり、流域面積は約263平方キロメートルに及んでいます。
 東京都水道局では、この流域を含む多摩川上流域の水道水源林を管理し、安定した河川流量の確保と小河内貯水池(奥多摩湖)の保全を図っています。

~ 以上 ~

日時計
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00495_a.JPG
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00508_a.JPG

日時計を囲んでいるパネルを順に見ていくと、、、

1 ダム建設計画
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00496_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

1 ダム建設計画

 大正の終わり頃から、東京市は(当時は、東京都ではなく、東京市でした)首都東京の人口が増え、生活様式の近代化に伴い、水需要が急激に増加すると予測しました。このため、水源として関東一円の大河川について調査検討を行いましたが、最終的には多摩川の上流部にダムを造ることに決めました。
 そこで、多摩川上流部の9箇所の候補地について、河川水量・地盤状況について調査しました。水量的なことももちろんですが、高いダムを造る場合は、地盤状況が良くなければなりません。最終的に現在の地点になりました。
 昭和7年(1932)7月東京市会において第二水道拡張事業を決議し、同8月東京市第二水道拡張事業実施認可を申請しました。
 しかし、水利権上の係争問題が生じ、この解決に約4年の歳月を費やしました。昭和11年7月、事業の認可を受け、小河内貯水地建設事務所を開設致しました。


小河内ダムのあゆみ

昭和 7年 7月 第二水道拡張事業(ダム建設)を決議
     8月 東京市第二水道拡張事業実施認可を申請

昭和11年 7月 東京市第二水道拡張事業の認可
       小河内貯水池建設事務所 開庁

昭和12年10月 小河内貯水池建設事務所を現地に開庁

昭和13年11月 総合起工式

昭和15年 3月 小河内ダム仮排水路工事 完成

昭和18年10月 工事の一時中止

昭和23年 4月 工事再開を都議会で決議
     9月 小河内貯水池建設事務所 再び開庁

昭和28年 3月 ダムコンクリート打ち込み開始 ダム定礎式

昭和32年 6月 小河内貯水池湛水式
    11月 小河内ダムしゅん工式

昭和39年   オリンピック渇水

昭和55年 3月 第二号取水施設 完成

平成 4年 6月 冷水対策施設 完成


~ 以上 ~


2 地盤改良
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00497_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

2 地盤改良

 大きなダムを作るためには、何より地盤が大切です。
 ダム地点付近は、堅い砂岩層です。ところどころに粘板岩など亀裂が多く剥離しやすい地層がありますが、この部分にグラウティングを行えば、十分ダムを支持する強さが得られます。
 グラウティングというのは、まず、ボーリングといって、地面に細い穴を掘ります。そして、セメントを水に溶いたものをその穴の中に圧力をかけて注入します。そうすると、地面の中にセメントがしみこみ、固まり、地盤が強く固くなります。

 基礎となる岩盤の表面に近い部分を固めて、水密性を持たせ、一様な岩盤支持力を持たせるために行うコンソリゼーショングラウト。亀裂部分を固めるフィッシャーグラウト。地中深く遮水性を向上するためのカーテングラウトを施工しています。

~ 以上 ~


3 ダムコンクリート
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00498_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

3 ダムコンクリート

 昭和28年3月、ダムコンクリートの打ち込みを開始しました。

 コンクリートは、セメント骨材といわれる砂利、砂、水を混ぜて固めたものです。小河内ダムには、1,675,680立方メートルのコンクリートが使われています。東京ドームの大きさの1.3杯分です。骨材のほとんどは、地元で生産しました。今、皆さんが立っている場所は、もともと山でしたが、骨材や砂を取るために削られて、平らな広場になりました。

 ダムコンクリートは、縦30m×横15m×高さ1.5mのブロックごとに、コンクリートを打っていきました。柱状工法という施行方法です。
 大きなコンクリートを打つと、40度ぐらいまで温度が高くなってしまうので、コンクリートが膨らみます。その後、温度が下がってくると、膨張したコンクリートが収縮し、コンクリートに亀裂が生じやすくなります。
 このため、コンクリートの温度が上がらないように、いろいろ工夫しました。
 材料管理では、温度が上がりにくい中庸熱セメントの使用や、セメントに混ぜる砂利を冷やしたり、水の一部を凍らせて混ぜたりしました。
 施工管理として、コンクリートを打った後にパイプクリーニングを行いました。パイプクリーニングは、写真のように、コンクリートブロックの間に、金属製のパイプを蛇行して設置し、冷水をパイプの中に流して、コンクリートを冷やします。
 ダムコンクリートは、充分冷却した後、ブロックとブロックの間をグラウトで固め、コンクリートを一体化しました。また、パイプクリーニングを行ったパイプにもグラウトを充填しました。

~ 以上 ~


4 道路工事・専用鉄道
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00499_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

4 道路工事・専用鉄道

 小河内ダム建設のため、ダムまでの道路を、大型車が通れるように整備しました。現在も使われている多くのトンネルや橋もダム建設に併せて造りました。
 また、ダムより上流は、使用していた道路が貯水池の中に水没するため、付替道路として、ダムの満水位より上に新しい道路を造りました。
 この他、資材を運ぶため、今の奥多摩駅(当時の氷川駅)から水根沢駅までの区間(約6.7㎞)に鉄道を敷きました。

~ 以上 ~


5 小河内ダムのしゅん工
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00500_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

5 小河内ダムのしゅん工

 昭和32年6月、いよいよダムに水を貯め始めます。
 その年の11月26日に、ついに小河内ダムが完成し、しゅん工式が行われました。
 ダムの完成には、移転された945世帯の方々のご協力と、工事中に亡くなった87名もの方々の犠牲があったことを忘れてはなりません。
 小河内ダムに貯水を開始した当初、水需要量の増加とともに、降雨に恵まれなかったため、なかなか満水にはなりませんでした。
 約2年後の昭和34年5月、ようやく満水になります。

~ 以上 ~


6 ダム構造
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00501_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

6 ダム構造

形式     :非越流型直線重力式コンクリートダム
ダムの高さ  :149m
ダム頂部の長さ:353m
ダム頂部の標高:530m
総貯水量   :1億8540万立法メートル


 小河内ダムは、水道専用ダムとしては、日本最大です。ダムによってできた貯水池は、奥多摩湖として皆さんに親しまれています。

 皆さんの左側に見える5門のゲートが余水吐です。台風等で貯水量が多くなってきたときに放流する施設です。
 昭和55年に第2号取水施設が設置され、渇水などの緊急時に小河内ダムからの補給を十分に行えるようになりました。
 さらに、平成4年には、第2取水施設を活用した多摩川冷水対策施設が完成しました。貯水池表層の温かい水を取水することにより、下流の魚の成長や川遊びに配慮した、自然の河川水に近い温度の水を流すことができるようになりました。

~ 以上 ~


7 しゅん工50周年記念事業
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00502_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

7 しゅん工50周年記念事業

平成19年、小河内ダムは、しゅん工50周年を迎えました。
東京都水道局は、これを記念して、事業を行いました。

[事業の概要]
   4月 「奥多摩湖いこいの路」全線開通記念式典及びウォーキング
   8月 小河内ダム施設見学会
   9月 記念シンポジウム・ダムふれあいフェスタ
9~12月 ダム作品展覧会
  11月 小河内ダムしゅん工50周年記念式典

[50周年記念碑]
 この50周年記念碑は、これまでダムを支えて下さった方々への感謝と敬意を示すとともに、多くの人々の理解と協力により、より愛されるダムとして次世代に継承することを願い、ここに日時計を設置しました。

~ 以上 ~


8 水道水源林
(正面に見える山々)
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00503_a.JPG


9 水道水源林管理
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00504_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

9 水道水源林管理


 森林は、水源かん養機能、土砂流出防止機能、水質浄化機能、二酸化炭素吸収機能など、大切な機能をもっています。
 奥多摩湖の水質保全や、安定した河川流量の確保を図るため、水道局では水道水源林の計画的な管理を行っています。
 東京都の水道水源林は、多摩川上流域の東西約31㎞、南北約20㎞に及んでいます。面積は東京都区部の約35%に当たる21,630haです。
 東京都の水道水源林の管理は、明治34年(1901年)、東京府が多摩川水源地の森林荒廃を原因とする洪水や渇水に対処するために森林管理を始めたのがその第一歩で、平成13年(2001年)に100周年を迎えました。

<多摩川水源森林隊>
 民有林を良好に保つことも、多摩川上流域の水源地を保全する上で非常に大切です。水道局は、平成14年に「多摩川水道森林隊」を設立し、多くのボランティアとともに、民有林の保育活動などを実施しています。

~ 以上 ~


10 水質管理
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00505_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

10 水質管理

 小河内貯水池(奥多摩湖)は、都民の貴重な水がめです。安全でおいしい水を供給するためには、適切な水質管理が重要となります。
 小河内貯水池では、昭和40年代ごろから「水の華」と呼ばれるプランクトンの大発生が見られるようになりました。水の華は、貯水池の富栄養化により引き起こされる現象で、貯水池の水を著しく変色させて見た目に悪印象を与えます。
 また、特にラン藻という種類のプランクトンが繁殖して起こる水の華(「アオコ」といいます)は、カビのような臭気を発生し、下流の浄水場での処理に影響を及ぼすことがあります。

 平成2年以降、アオコが毎年発生するようになり、平成14、15年には、アオコによるカビ臭対策として下流の浄水場で粉末活性炭を多量に注入しました。
 水道局では、アオコ対策のため、貯水池の上流部で発生したアオコを表層の湖水とともに吸入して太陽光の届かない湖底に送り込み、アオコの原因となっているラン藻を死滅される装置(表層水移送装置)などを試験的に導入しました。これらの対策により、アオコの発生を抑制することができました。

~ 以上 ~


11 ダム堤体管理
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00506_a.JPG

~ つぎのことが書いてあります ~

11 ダム堤体管理

 小河内ダムでは、水質管理のほかに、貯水量の管理や堤体の安全管理、護岸などの管理を行っています。

[水量管理]
 水量や水位のデータ等を収集して、常時流入量を把握するとともに、放流量を調整して、適切な水量管理を行っています。

[堤体管理]
 ダムの内部には、各種測定設備(揚圧力、鉛直変位、漏水量、地震)が設置されており、常時監視を行うとともに、地震時には臨時に点検を行い、安全を確認しています。

[護岸などの管理]
 貯水池内の護岸や、管理用道路は、湖水や風雨によって劣化が進むので、計画的に補修工事を行っています。

[堆砂調査]
 ダムの底に溜まっている土砂の量を調べます。
 せっかくのダムに、上流から流れ込んでくる土砂が溜まってしまうと、貯水能力が低下してしまいます。
 小河内貯水池は、水道水源林を適切に管理しているため、50年たっても約3%しか堆砂していません。

[堤体の変位]
 こんなに大きなダムの堤体ですが、季節により変位しています。
 夏は、堤体の下流側が暖められ、伸びようとするので、堤体が上流側に戻る挙動を示します。冬は逆に収縮するため、下流側に傾くような挙動を示します。
 また、水位によって、水の重さで、堤体が下流側に押されます。

[その他]
 大雨などで、ダムからの放流量を増やすときは、事前に下流域を巡視、警戒するとともに、サイレンや放送により増水に伴う事故防止に努めています。

~ 以上 ~


靴をぬいで、ご利用下さい
山歩きで疲れた脚を、癒してください
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00507_a.JPG


湖底の故郷
20100228_blog_20100131_kumotoriyama_DSC00509_a.JPG

~ つぎの詩が書いてあります ~

湖底の故郷

夕陽は赤し
 身は悲し
涙は熱く
 頬濡らす
さらば湖底の
 わが村よ
幼き夢の
 揺り籠よ

島田磐也

~ 以上 ~
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。